映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』から三島由紀夫が命をかけてまで実現したかった理想(三島由紀夫が描く未来)を知りたくてこの映画を見た。しかし、残念ながらこの映画は三島由紀夫が目指した理想を追及するようなドキュメンタリー映画にはなっていなかった。誰もが知りたいはずなのに。ダサい映画だ。
私は三島由紀夫の小説は読んでいない。私が知っている三島由紀夫はビルの屋上で、大人達に罵声を浴びせられ、何を言っているのか分からい演説をしている姿だ。そして、演説直後割腹自殺を行ったことを知り私は少し青ざめた。そんな三島由紀夫から私は勝手に三島由紀夫の人物像を抱いてしまって、この映画を見るまでその人物像は引く継がれた。
私が勝手に思っていた三島由紀夫の人物像
- 笑顔(歯)を見せない。
- 頑固な人。
- 冗談を言わない。
- 意思が強い。
- 人の話を聞かない。
- 自分の意見を相手に押し通す。
- 無骨な明治男。
私の祖父は明治男だった。笑顔を見せずいつも凛としていて、子供の私には近寄りがたい存在だった。そんな祖父と三島由紀夫がだぶっていたから以上のような人物像を勝手に抱いていた。だが、この思いは映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』の冒頭で間違いだと思い知らされた。三島由紀夫が「歯」を見せて冗談を言うなんて思いもよらなかった。HBOの「The Newsroom」の初回で大学で質疑応答をしていた「ニュースキャスター」にある女子学生が「アメリカはなぜ偉大な国なのか?」と質問した。これに対して「ニュースキャスター」はこの学生に真面目に対応し自論を大人気なくブチかました。映画の中の東大全共闘とドラマに登場した女子学生には大差ないと感じたが、三島由紀夫は「ニュースキャスター」とは違い、「西郷隆盛」のごとく小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く、大人の対応をしていた。もし東大全共闘の中に「坂本龍馬」が居たら面白い討論になっただろうな、と勝手に思った。
結局、当時の東大全共闘には三島由紀夫を本気にさせるほどの度量がないから、映画を見ても私の疑問はなに一つ解決されなかった。だからと言って、私の疑問を解決するために、今から三島由紀夫を読む(芥川龍之介も読み切っていないに)気はしない。したがって、映画を見て三島由紀夫が語った内容から私の疑問を解き明かせないか挑戦してみる。三島由紀夫は討論のトリガーになればと思って(討論にはならなかったが!)、私の記憶によれば以下のようなことを言っていた。
- 私は暴力主義者ではない。
- 解放区を気にしていた。
- 私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めた。
- 知識人という人達を嫌っていた。
- 自然とは何かと聞いていた。
- 日本人であることを強調した。
- 名前を気にしていた。
- 天皇崇拝を唱えた。
- 机を生産した人はバリケードに使われるとは思っていなかった。
- 気違いは薬で治る。
- 全学連とは協調出来ない。
1)私は暴力主義者ではない。
→もし暴力否定者であれば非暴力主義と言はず、あえて「暴力主義者ではない」と言うことは、暴力も手段としてありうると受け取れる。これから「日本は強国であれ」と言っているように思われる。
2)解放区を気にしていた。
3) 私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めた。
→解放区とは、中国共産党が、実力を持って国民党を排除して支配下に置いた地域のことを言うらしい。であれば、三島由紀夫が言うところの解放区とは「実力をもって自民党を排除して支配下においた、反共産主義の地区」ということになる。つまり革命を示唆していると思われる。
4)知識人という人達を嫌っていた。
→私も知識人は嫌いだ。彼らの本音は保身による忖度しかない。だから、意見や信念が簡単に変わる。これは、私も三島由紀夫も共通性があると思うが「日本を良い方向に向かわせる知識人には揺るがない信念が重要」だと思う。
5)自然とは何かと聞いていた。
→これは、人間が手を加えてない自然のことではなく、人間にとっての自然ことだと思う。主観だが自然とは「むりがなく、ストレスがなく、心地よい環境」だと思う。
6)日本人であることを強調した。
7)名前を気にしていた。
8)天皇崇拝を唱えた。
→これは紛れもなくアイデンティティだ。三島由紀夫は日本人から逃れられないこは分かっている。だから「良き日本とは」という答えがないことを追及していたのかもしれない。
9)机を生産した人はバリケードに使われるとは思っていなかった。
→机を物(Object)と考えれば使う人の用途でバリケードとして使用しても問題ない。三島由紀夫が言いたかったのは日本人古来の文化「道具を大切に使う」を言いたかったのかもしれない。
10)気違いは薬で治る。
→この世に気違(精神疾患)でない人はいるだろうか。「お前精神的におかしいな」と言われたら普通の人は怒る。なぜなら正常でない自分が怖いからだ。でも、気違いあつかいされてそれを受け入れられる人は、逆に精神疾患がある人と疑わざるおえない。
11)全学連とは協調出来ない。
→至極簡単なこと、アイデンティティを持ち合わしてしてない東大全共闘と同調できるわけがない。
以上のことから三島由紀夫が描く未来とは、「現日本権力が及ぶ地域を解放し、そこでは反共産主義で天皇を中心とした、日本古来の文化である文武両道を基本とした国作りを行う。」なんだか封建社会への回帰にしか思えない。
私が思った三島由紀夫の思想はこのようなことたが、私より適格に言っている文章を見つけたので紹介します。
『三島自決事件のときも、メディアは激しく三島を非難した。だが、なぜあのような行動に走ったか、という三島の心情まで踏み込んだ考察はあまりなかったように思う。著者によれば、三島はこう考えた。天皇と日本国は、自らのアイデンティティーを、西洋風の政治制度と経済成長だけで定義してしまった。日本の近代化とは、天皇と私たち日本人から、文化の薫りを奪い去る時代だったのだ。奪われた文化を取り戻すためには、行動を起こさねばならない。尊皇を唱えつつ明治政府に反旗を翻した西郷はその先人、というのである。』
三島由紀夫と同世代の司馬遼太郎遼の「街道をゆく三 肥薩のみち」に以下のような文章がある。
「肥後に隣接する薩摩の国という名称も、名をきくだけでもいかにも雄大な人文の歴史を感じさせるが、鹿児島県という管制名称では明治式中央集権下の三等県にすぎなくなり、いかにも卑小(取るに足りない見すぼらしさ)で気の毒みたいだ。」「薩摩藩は士族の数が多すぎ・・・百姓をほとんど奴隷同然に酷使する以外に藩財政をたちゆかせることができなかった。・・・薩摩藩には富農が存在せず・・・薩摩藩というものが明治で藩がくつがえった同時に全てを失った」
確かに私達は明治維新により卑小な民となったが、奴隷よりはましだ。ただ、アメリカのトランプ大統領(代官)に対する安倍首相は「越後屋」なみの忖度しかできない現状も寂しい。'80年代成金になり下がった日本は世界を買いあさった。その時日本は世界から顔の無いエコノミックアニマルと呼ばれた。つい最近では、コロナウイルスを制圧できた韓国やドイツでは指導者が絶賛されたが、なんとかコロナウイルスを制圧できた日本に対しては指導者や専門家は評価されず、ここでも顔のない日本に注目が集まっている。三島由紀夫は国の理想を追い求めすぎて最も大切な卑小な民のことは眼中になかった。
我々は卑小な民ではあるが、粘菌ように一つ一つは弱弱しい単細胞だが、協力して全員で事にあたれば、複雑怪奇な迷路であっても出口を見つけられる。もしかすると、日本人は権力者や指導者などましては言葉など不要で、今大多数の人々がなにを考えているのか、空気を読み自分達が目指すべき道を見出せる民族だと思う。ただ、戦前のようにその思いが軍国主義など、周囲の人々や自分が傷つく考えだけは拒否する力だけは備えておくべだ。
「あんた、ロボットで家のセキュリティーを強化するより家の修繕をしてよ!」
ザ・ループ TALES FROM THE LOOP(Amazon priime video #5 コントロール)
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