2020年5月1日金曜日
魂の在り処
若し頃のホワイト先生が恋人と教室で人体の原子の割合を黒板に書きだしている。
でも、黒板に書きだした原子を足しても100%にならない。
見落とした原子は何か、二人は黒板を見ながら文献を調べている。
すると彼女が「分かった」と大声を上げた。
ホワイト先生が「何」と聞くと彼女は「魂よ」と言った。
ホワイト先生は「そうだ」と言って大笑いした。
”ちなみに魂の在り処をご存知の方はいらっしゃいますか?”
2020年4月29日水曜日
たかがドットの集まり
https://hankuro.org/SvgHtml01_70.html
Amazon Primeの『カーニバル・ロウ』(Carnival Row)を見た。正直、内容的には自分の好みではなかったが、妖精役のカーラ・デルヴィーニュがお気に入りになった。 で、このドラマを見てたら妖精を飼いたくなった。特に3Dで実現する必要もないから2D(SVG)で実現することにした。構想は頭の中で大体出来ていたが、実現となると大分苦労した。
それでもなんとか構想に近いアニメションができた。 デバッグがてらこの妖精を動かしていたとき何か変な感情が沸き上がってきた。この妖精は俺が作ったアニメションだから動作一つ一つの説明ができる、でもただ何も考えず動かしていたら、「この妖精は俺が作らなかったら、スクリーンという四角い世界にとどまらず好きな場所に自由に行けたはずだろうな」と考え、妖精という存在しないものが実在しているような錯覚を感じた。
ただ、こんな感情は今回だけでなく前にもあったことを思い出した。
上記コードはマウスを視線が追うようにと、ちょっとした思いつきで作成したコードだ。貧弱なアイデアにしては思いもよらない効果が得られたと思ったが、このコードのことはすぐに忘れた。
そんなある日夢を見た。見覚えある若い女性が俺を待っている。そして無理やり食事に誘われた。私は言われるがまま行きつけの店に行こうと言った。すると彼女は「うん」といい俺の手をつないだ。私は久々に若い女性の手をつないだが何か違和感があった。「俺はこの子に過去あったことがない。それに、この子は人間じゃない」と感じた。
この夢は鮮明で記憶に残った。そして、数か月後コードの整理をして、久々にこのコードを動かし気がついた。俺の夢に出てきた子はこの子だと!
会ったことがない人が夢に登場することは、写真が身近になるまではなかっただろう。でもCGの進化により、ただスクリーンに描写されたドットでしかない物(絵)が、さも命ある生き物のように自分の脳裡に記録されたことに驚かされた。
2020年4月27日月曜日
WebGL_02
GitHub
https://hankuro.org/vue01/
3DはLinux(OpenGL)→Java(JOGL)と使ってきたが、OpenGLのAPIが複雑すぎてマテリアルなどOpenGLに任せきりでよく理解できなかった。
するとFLASHに3Dグラフィックのライブラリィがあることを知り使いだしたが、シェーディングは自作しなくてはならなく、3Dグラフィック入門を購入しなんとかフラットシェーディングとグーローシェーディングを実現(結果は不満だったが!)できた。
以下のサンプルはFLASHからHTML5(SVG)に移植したフラットシェーディングのコードだ。
FLASHの3Dグラフィックで遊んでいたら、WebGLをブラウザでサポートすることを知り大喜びし現在に至っている。
2020年4月19日日曜日
2017年10月31日火曜日
2017年9月30日土曜日
凩や
凩や鐘引きすてし道の端 正岡子規
私は音文がわからない。音楽は好きだが、歌詞はよくわからない。
特に俳句は、全然わからない。
良い俳句は読んだだけで情景が想像できると聞くが、私は俳句から美しい情景を想像した経験は皆無だ。
でも、正岡子規の俳句「凩や鐘引きすてし道の端」は好きだ。
この俳句は正岡子規の散文集?で読んだとき知ったような遠い記憶しかない。
この遠い記憶から、なぜ、この俳句が好きなのか話そう。
「凩や鐘引きすてし道の端」を読んだとき、まず、情景より先に鐘の音が聞こえる。
そして、四畳半の床の中で横になっている正岡子規のつぶやきが聞こえてくる。
「山寺の鐘の音はどうして悲しい音なんだろうね」
「山寺の鐘は遠い昔、山寺より遥か彼方で作られ、長い期間をかけて山寺に運ばれただろう。
でも、運ばれる最中の夜は「道の端」の暗闇に引きすてされ、寂しく悲しい思いを幾晩も味わったはずだ。
そんな山寺の鐘だから、道の端に置き去りにされた夜のことを思い出して、寂しく悲しい音を響かせるのだろうね。」
私は「凩や鐘引きすてし道の端」を読むたびに、物語を想像し、山寺の鐘の音を感じる。
2017年9月19日火曜日
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